90年前後、荒れ狂うバブル崩壊の波が押し寄せていたが、その中でもバブル経済中の世の中が忘れられない人物たち、三林孝人(後に初代親分)・館建(後に若衆頭)が三重県北部を縄張りとし、その若者たちによりささやかな一家を構える。
この頃はカワサキ550SXが主流であり、2人乗り(のちにランナバウトと呼ばれる)は650TS・ヤマハマリンジェットがゲレンデでもてはやされると言う今では考えられぬ時代であった。
またバブルの恩恵を受け闇市では今では信じられないほど高価格でジェットが取引されていた時代でもあった。
 
当時画期的だったSEA-DOO ゲレンデには常に女の子も必要!
94年、三林啓文・片岡茂雄・植村公司等(後に幹部)が550SXを買いジェット界に進出。番長が戦前以前から付き合いがあった三林孝人氏等と共に行動するようになる。
時代の流れで組織が大きくなるにつれて縄張り拡大・政界進出等、結束力・組織力を強くしようと三林孝人氏を親分とし無駄な戦いを避ける為、TEAM DOLPHIN"が誕生したがそれに伴い公安・警察当局の監視下にも置かれる事となり、のちに政治結社として新たな組織に生まれ変わる。
はみ出しモノなモノ 当時の若い衆の集会風景
結成当時メンバーは約20名であり、名前の由来は”イルカ”で始まりどこにでもあるような名前で英語に変換しただけの安易な考えで決まった。(誰も良い名前を思いつかなかったのも事実である)
そんな中どこにでもある事だが、集会出来、乗れるゲレンデは限られており、”ゲレンデは多種多様の民族大移動状態”であり、つねに縄張り争いが絶えない時代であった。
その為、若い衆等は比較的空いている土曜日にブイを張ってジェット・夜は花火を見ながらBBQ・日曜日はノンビリジェット(又は乗らない)が定番コースであった。

今思えば日曜日に乗るために前夜からの縄張り確保・抗争・若い衆が血を流し血で血を洗うのは当たり前の時代でもあった。
まだサイヤ人にはなれない番長 こんな!スケに冷蔵庫やとぉ〜
 
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